2018-05-12

<5/4スローツアー岐阜レポート②> 
いよいよ石徹白の小水力発電施設めぐりへ

ツアー初日の様子はこちらへ→①

ツアー初日を大盛り上がりで終えた私たちは、翌日さらに北上をして石徹白(いとしろ)を目指します。

と、その前に朝食は郡上八幡でモーニング。八幡には多くの喫茶店があり、いまでもモーニング文化が濃く残っています。(この場所は清水珈琲さん。雰囲気のある落ち着いた素敵なお店でした。)

美味しく朝食をいただいたら、後ろ髪をひかれる思いでバスに乗車。およそ1時間ほどをかけて北上していきます。

目指す石徹白は、かつては福井県に位置していた村で、昭和の大合併の際にその大部分が岐阜県郡上市に編入したという経緯を持つ、福井県と岐阜県の境に位置する集落です。

白山中居神社への正式参拝と、石徹白小枝子さんのお話

石徹白に到着をして、早速向かったのが「白山中居神社」。ここは石徹白の要とも言える場所で、よそから誰かを招く際には真っ先にこの神社にお参りをしてから、他の場所をゆっくりと見てまわるのだそうです。

ここで、水先案内人の斉藤万里子さん(まりっぺさん)と合流しました。まりっぺさんは、石徹白で古くから引き継がれてきた知恵や精神と現代の取組みを、地域内外の講師とともに学ぶ連続講座「いとしろカレッジ」を主宰されており、3日目に伺う石徹白洋品店のスタッフさんでもあります。まりっぺさんにはツアーの企画段階から本当にお世話になりました。

ということで、私たちもまずは神社に参拝へ向かいます。

大きな杉が並ぶ参道を歩いていき、境内へ。

真正面に見えるのが「磐境(いわさか)」。社のない時代に神様が鎮座された場所だそうです。石徹白の歴史は古く、縄文時代から続くと言わていますが、この場所はなんと紀元前6,000年前に豊作を祈願した神域だったのだとか。右奥に見えるのが本殿。雪深い地域なので、周りを板で囲まれています。

写真を撮るのはここまでにして、しっかり身を正し本殿に参拝し、神社の禰宜さんである石徹白隼人さんにお話を伺い、正式参拝をさせていただきました。

続いて向かったのが、「石徹白清住邸」。いまでも神道の習慣を守って暮らしている石徹白小枝子さんにお話を伺いました。各節目に家のなかで行われる祭事について教えていただき、一部屋ずつ分かれているご神前の間と御霊様の間のそれぞれにお参りをさせていただきました。

石徹白は、日本三霊山のひとつである白山の登山口に位置するため、明治まで「神に仕える人が住む村」として捉えられていたため、どの藩にも属さず、年貢の免除や名字帯刀までもが許されていたそうです。

集落の中も、「上在所」、「中在所」、「西在所」、「下在所」と場所が分かれており、小枝子さんが暮らし、神社が位置する「上在所」が神様に一番近い場所とされているのだといいます。

今回は、小水力発電をきっかけにツアーを企画しましたが、実際に訪れてみると石徹白がもつ歴史の深さとその独自性に驚かされることばかり。「今の小水力発電」にだけ注目するのではなく、この土地に受け継がれてきた歴史や文化背景も合わせてもっと知りたいなと感じました。

昼食は、あわ居さんの野草を取り入れ、かつモロッコ味が隠されたお弁当。見た目も美しく、味も絶品でした!

いよいよ小水力発電施設めぐりへ!

お腹を満たしたら、本日のメインイベント「小水力発電施設めぐり」へと移ります。出発する前に、まずは小水力発電事業の立役者である久保田政則さんと平野彰秀さんにお話を伺いました。みんな真剣です。

続いて、本物を見に外へ。まずは「上掛け水車」。これは、この水車の後ろにある「ふるさと食品加工施設」に電気を送っているもので、現在この水車の設置をきっかけに実際に農産物の加工が行われています。

石徹白で小水力発電施設が注目されはじめたのはここ数年のことですが、じつはそこに至るまでに様々な試行錯誤があったのだといいます。今回は、その中心人物である久保田さんに、直々にお話を伺いながら施設見学を出来る大変貴重な機会をいただきました。

驚いたのは、この水車の発電を制御する装置がなんと、イナバの物置で出来ていたところ。

「INABA」と書いてあります。じつは、もともと石徹白で電子機器を扱う仕事をされていたという久保田さん。小水力発電施設を作る際に、業者に頼むことはせず、ご自身で作られたのだとか。

えぇ~っ!と驚く私たちに、平野さんから「雪深い石徹白では、外からの助けを得るのではなく、必要なものは自分たちで作るという文化があった。これをこっちでは甲斐性があるという」と補足がありました。この自立の精神こそが、いま石徹白に注目が集まっている理由の一つです。

じゃあ、私たちも近くに水が流れていて、電気のことが分かる人がいれば小水力発電始められますか?という質問に、間髪入れず「出来る」と答えてくれた久保田さんのことがとても印象に残っています。

これが、ここで作られてる農産物加工品。この地で自然農を営まれている農園サユールイトシロの稲倉哲郎さんが加工をしています。見た目にも美しく、実際に美味しかったです。

続いて見させていただいたのが、この「らせん型水車2号機」。これは近くの住宅に電線が伸びていて、家で使う主要な電気をまかなっているそうです。

平野さんの説明を、食いつくように聞く皆さんの様子。

一口に「小水力発電」と言っても、その作りは様々。一番はじめに見た水車はイメージ通りですが、これはどのようになっているかちょっと想像がつきにくいですね。

別角度から見ると、らせん型の水車が中に入っていることが分かります。基本的に水力発電は「水の落差」と「水量」により、発電出来る電力量が決まるのだとか。

はじめに見た水車の場所は「落差3メートル、水量0.15㎥/秒」、こちらのらせん式水車の場所は「落差80センチ、水量0.2㎥/秒」と、それぞれで水の条件が変わるので、その条件に適した水車を設置していくのだといいます。

一言も逃すまいとする積極的なツアー参加者の姿勢。皆さまの前向きさに支えられた3日間でした。そして、最後に向かったのが石徹白番場清流発電所。ここは落差111.7mもある発電所で、これまで見た2つとは随分と雰囲気が異なります。

もうこうなると、なかで何が起きているのかも分からないですが、この水車によって発電出来るのは最大116kw。これで集落で使う電力を上回る量を発電することが可能なのだとか。

オフグリッドではないので、ここで行われているのは売電事業。余剰に売れた分は売電収入として入ってきます。

久保田さんと平野さんがお二人ともそれぞれ仰っていたのは、「発電が目的ではない」という言葉。むしろこれをきっかけにして、地域が再び盛り上がるようにという狙いがあります。この発電事業がこれからちゃんと回っていけば、売電による収益は地域にとっては大きなものになる。それを使い耕作放棄地の管理を行うなど地域のために使う財源が出来る。

この日の午前中に伺った白山中居神社を見れば一目瞭然ですが、石徹白はかつて非常に人の出入りが多かった土地で、白山信仰が盛んだった時には「上り千人、下り千人、宿に千人」とも形容されたほどだと言います。

それが今では、集落の人口は270人にまで減少。このままで地域が立ち行かなくなるという問題意識があったうえで、この小水力発電が誕生しました。

2009年に、地域で立てられた「石徹白ビジョン」。その目標に「30年後も石徹白小学校を残す」というものがあるそうですが、現在すでに石徹白には移住者が増えており、減少の一途だった子どもの数も少しづつ増えているそうです。

十分勉強をさせていただいたところで記念撮影。久保田さん、平野さん、質問責めにしてしまいすみませんでした。本当にどうもありがとうございました!

この後温泉へ行き、民宿ささきさんで夕食を食べ(美味しいいわなのお刺身に驚きました。)、夜は地域の皆さんと一緒に飲み会へ!(飲み会は私も楽しんでしまったので写真を撮っていませんでした。失敗…)昼間には聞けなかった色々な話を夜にも聞くことが出来、本当に濃密だった一日がようやく終了。楽しい宴は遅くまで続いたとか続かなかったとか…(2日目終了。つづく)

 

*もっと知りたい方へ 下記、どうぞご覧ください。

・石徹白公式HP「石徹白人」

・いとしろカレッジ(まりっぺさんが主宰する連続講座 →第三期募集中です!

・農園サユールイトシロ

・土地に宿る知恵や精神性を時代にふさわしい形でよみがらせる。小水力発電から始まった、岐阜県石徹白集落に暮らす270人の「持続可能な農村」へ向けた挑戦(greenz.jp)


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